ようやく思考から直にタイプ動作ができるようになってきた。


どんな配列でも、配列を思い出す、意識する、打鍵列に変換するとかいうステップが残っているうちはしっくり来ない。幸せになれない。

逆にいえば、完全に覚えられれば、ローマ字入力でも人はある程度満足する。

配列を覚えてPCにいうことをきかせられるというのがキーボード操作には重要で、他の細かい配列性能等はおまけにすぎない。

しかし、「○○配列が打てる」という経験が人を自配列中心主義に駆り立てる。

これも標準化の力として見れば有効に作用しているんだと思うが……

「既存配列と同様にだれにでも打てる」という条件を満たすだけの配列なら山ほどあるという事実を忘れさせていると思う。