空虚なる一般論

配列設計基準の一般的な原理には、標準時間法、同指異鍵と跳躍の回避、指負担配分を求めておく(花配列的)方法などがあり、これらを組み合わせて配列設計の基準とする。但し、これらをどのような優先順位で組み合わせるべきであるかについては、その方法がまったく確立されていない。


また原理モデルとして定評ある(?)Dvorakを設定し、これに近づける方法もある。たとえばDvorak並みの使い勝手を日本語入力に再現したければ、Dvorakを参考に、SKYのような配列が得られるはずだ。……しかしそれはDvorakによっているかぎり、Dvorak以上のものになることは期待できない。しかも果たしてDvorakの手法は一般的なのか。また日本語に適しているのか。

実際使ってみて、交互打鍵はそれほどすばらしいというほどではない。私としてはアルペジオあるいは和音打鍵のほうがミスが少ないように思う。……いったい理想的なキー配列の条件とは何かがまたしてもよくわからなくなる。

と、ACT(Azik on Dvorak)の開発記にはある。


http://www.youtube.com/watch?v=DRjhbzvrHOs
そもそも、Dvorakは「Qwertyが初期タイプライターの機械的理由から配列された*1」ことを不満として作られた。だが実際にタイプライターの制約に縛られているのは、キーボードではなく機械式タイプライターで使いやすいように設計されたDvorakのほうだ。タイプライターの階段状の段間高低差と、機械式レバーに特に適応するように作られたと見える*2。またキーボード用配列としては交互打鍵が多すぎ、速度は出るものの長時間のタイプでは疲れて、逆に生産性が落ちてくるという指摘がある。


Nicolaは「階段のような段差」の影響も、重い「機械式レバー」の影響も受けていないが、「人差し指はどんどん動かしてもいいが、小指は移動させてはいけない」という「原理」を定めてしまっている。このため、たとえばYキーをたくさん使っている。
また人差し指の上方向への動かしすぎが親指シフトに向いていない*3点を考慮した形跡がない。


思うに、キーボード配列用の一般的原理なんてまだ手がかりさえ見つかっていないし、そういうものをあらかじめ定めようにしろ限界があるのではないか。実験と変更、試行と失敗の繰り返しでしか、適切な配列基準にはたどり着けない。


新JISの失敗と、月配列としての再興も、失敗と再試行の流れのひとつであるように思う。




自然科学に於いても一つの学説が出来てしまえば, その学説に基づいて演繹をする。しかし論理は当たり前なのだから, 演繹のみから新しいものは何も出てこないのが当たり前であろう。もしも学問が演繹のみに頼るならば, その学問は小さな環の上を周期的に廻転する外はないであろう。我々は空虚なる一般論にとらわれないで, 帰納の一途に邁進すべきではあるまいか。

  高木貞治,近世数学史談

*1:ただし、これは事実ではない

*2:未確認。機械式タイプライタの実機に触ってみないと確かなことはいえない。また、JKがホームにあるQwertyよりはましだろう。

*3:と、Rayさんは言っている。事実かどうかは未確認