Wikipedia問題について

とりあえず、Wikipediaを紛糾する!系の意見を、Uジローさんのブログでの流れにRide on!する形でコメントしてみました。
http://ameblo.jp/ujiro/entry-10014550536.html#cbox



で、本音ですけども。

Wikipedia検証可能性
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7
は、「検証可能性」による「取り除き」の効果について、


取り除くことができます


という表現を一貫して用い、例外がありません。


また、除去をするだけではなく、


{{要出典}}、{{unreferenced}} テンプレート、{{not verified}}、{{unsourced}} などのテンプレートを張る


ことで、題材自体を残しておくことが選択できるとも明言しています。



これを反対解釈すれば、「誰かが能動的に取り除かない限りは、< 取り除かれなくともよい >」と理解すべきなのではないかと考えられるのです。


まして対象記事の意義に自信を持っている筆者自らが、その意志に反して削除を提案するという行為自体が削除提案の意図を不明瞭にし、またそれゆえに削除手続きの運営をも困難にするので、そもそもこの「削除提案」自体が、Wikipediaが想定していない類のものであると考えられます。



「検証可能性がない記事は、削除対象です」と読める規定が問題であるわけですよね。
しかし、「削除対象にあたる記事は、早急に削除されるよう手配しなければならない」というような文言が、どこかに書いてあるんでしょうか?(『存命中の人物に関する記事あるいは情報の場合』に限って、直ちに削除するよう要求しているに過ぎません)


誰かにとって「削除される必要がある」と感じられる記事にしか、検証可能性に従った取り除きは発動し得ないし、Wikipedianの総意もそこにあるのではないかと思うのです。


よって「検証可能性」の観点から考えれば、今回の削除提案の意図に鑑み、「飛鳥配列」には削除の必要も意義もないと言えるのではないでしょうか。

でもここまで目立ってしまったら

結局、提案を取り下げたところで次の削除提案が待っているでしょうから、スケープゴート的に削除されてしまうかもしれませんね。


インターネット上の個人サイトにしか情報が存在しない飛鳥配列

は、「自主公表された情報源:公式サイト」(Izubekkanでしたっけ)に該当するから、内容的には問題なく掲載できるんじゃないかなと思った。